セッション08

セッション08では回心現象における「感情」をテーマにスタディを進めました。具体的には『諸相』文庫版上巻 364頁から上巻最後までの内容になります。
 
回心という現象は突然で激しいものであれ、ゆっくりと穏やかなものであれ、人格の変容を引き起こす現象です。回心の起こり方は人の気質や世界観などによって様々な「諸相(variety)」がありますが、その体験の中には共通する感情が見られるとジェイムズは指摘します。
その感情をジェイムズは以下のように整理しました。概略化してまとめます。
 
1.外的状態は今までと同じであろうとも、すべての苦悩がなくなったということ、結局は自分には万事が申し分なくいっているのだという感じ、平安、調和、生きようとする意志である。 2.今まで知らなかった真理を悟ったという感じ。普通には、その解決は多かれ少なかれ言葉でいいあらわすことはできない。 3.世界がしばしば客観的な変化を受けるように見える。「あらゆるものが新しく見え美化される。」 ジェイムズ (1970) 『宗教的経験の諸相 (下)』岩波文庫 : 372
 
このような感情の動きは、AAの霊的体験・目覚めの体験談にも多く見られます。
ではこれらの感情を引き起こすのは、どういった「原因」が働いているのでしょうか。そこで重要になってくるキー概念が「受動性」です。
「受動性」と言う言葉は『諸相』に直接出てくる言葉ではありませんが、ジェイムズは self-surrender(自己放棄・明け渡し)などに何度も言及し、「自分の意志」が役に立たなくなった絶望的状況において回心現象が起こることを複数回指摘しています。
それは林氏がまとめてくれているとおりです。
 
回心に際して外部に神的な対象が置かれる理由は、ひとつにはジェイムズが収集した経験の手記にそれが見出されるということである。ジェイムズは、回心経験の際に生じる特徴的な感じのひとつとして、「より高い支配力の感覚」を挙げる。また、回心の起こる条件として「まさに最後の一歩そのものは意志以外の力にゆだねられねばならず……そのとき自己の明け渡し(self-surrender)が必要となってくる」と言う。自己を滅却するというのは宗教によく見られるモチーフであるが、ジェイムズの解釈では個人の意志を働かせるということは「病める」自己が決定権を持つということであって、その「真の方向からそれてゆく意志的な努力の結果、〔心の〕再編成が実際には妨げられてしまう」からであるとされる。つまり、自己の意志を放棄したときに、回心は生じる。 したがって、自己が明け渡されるときに起こる回心そのものは受動的な現象であり、それを引き起こす原因は自己の外部に想定されることになる。その外部の原因が、回心現象において感じられる神的な実在だというわけである。 林研 (2022)『救済のプラグマティズム』春秋社 : 44-45
 
この箇所は自己放棄の本質を説明したものであり、またビッグブックにある「ハイヤーパワーの導きを受け入れる」というコンセプトの本質でもあります。
自分の操縦桿を自分が握り続けているならば、回心は起こりようがありません。自分の操縦を自分ですることを諦め、自分を超えた力を頼り求める時に、上記の感情を伴った回心現象が起こる。
そういったジェイムズの基本テーマを確認しました。
この「受動性」の概念は、今後「祈り」というテーマを扱う時にさらに深めていく予定です。