page icon

神的な存在(The Divine)との交流

 
私たちはこれまでの講義で、回心者が目ざめてから後はこの世界が生き返ったような相貌を呈して見えることについて聴いてきた。普通、なべて宗教的な人は、自分の運命となんらかの関係のある自然的な事実というものは、何によらず、神的な目的をあらわしている、と考える。祈りによって、しばしば決して明白ではないこの目的が、彼らの胸に切実に感じられてくる、そしてもしそれが、「試練」であるならば、この試練に耐えるだけの力が与えられる。こうして祈りの生活のすべての段階において、祈りによって霊の交わりをしているうちに、エネルギーが上から流れ降ってきて要求に応じ、現象世界の内部で働くにいたる、という確信が見いだされるのである。この働きが事実であると認められる限り、その直接的な効果が主観的なものであろうと客観的なものであろうと、本質的な違いはない。宗教的に見て根本的な点は、祈りにおいて、いつもなら眠っている霊的エネルギーがはたらき出して、なんらかの種類の霊的な仕事(わざ)が現実に果たされるということである。(ジェイムズ 1970 : 326-327)